2つの祖国 ネタバレ感想!ラスト結末や実話でモデルがいた?【ドラマ後半】

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今回は「二つの祖国 後編」あらすじネタバレ感想を紹介します。

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2つの祖国 ネタバレ|ドラマ後半

広島に原子爆弾が投下され、戦争は終結する。

それぞれの戦後

1945年10月

天羽賢治(小栗旬)は日本占領軍への配属となり、原爆調査団の一員として広島入りする。

そこで井本椰子(多部未華子)と再会する。

井本の母は原爆で亡くなっていた…。

チャーリー田宮はGHQで、マッカーサーの副官として働いている。

天羽家はロサンジェルスの元の場所で、ランドリーを再開していた。

賢治の妻エミーは子どもたちと、エミーの実家へ戻っていた。

賢治は広島の惨状をみて、人生をかけて日本のために何かしなければという気になっていた。

そしてロサンジェルスで賢治の息子アーサー篤を救ってくれた医師とも再会する。

ピーターソン医師は、直接被爆した人はもとより、残留放射能による二次被爆も心配していた。

井本椰子は、自らの体調に異変を感じていた。

極東国際軍事裁判 通称 東京裁判

1945年11月。

天羽賢治はGHQ翻訳通訳部に戻る。

上司から報告書のやり直しを促されるも、真実を記述することをやめない賢治。

チャーリーが広島へ

井本椰子は、元夫のチャーリー田宮の紹介で、帝国ホテルへの就職話が出る。

またチャーリーは呉に住む母親と妹の小田万里子(橋本マナミ)と再会する。

妹の万里子は原爆投下時、広島で働いており多大な影響を受けていた…。

 

天羽賢治は、極東国際軍事裁判でのモニター役を打診される。

モニターとは、外務省通訳の言語をチェック・訂正する役である。

1946年5月3日、東京裁判が開始される。

A級戦犯は平和に対する罪

B級戦犯は戦争犯罪

C級戦犯は人道に対する罪と通訳する賢治。

天羽家

鹿児島 加治木。

天羽忠はようやく帰国を果たす。

叔母である天羽鷹(余貴美子)のもとを訪ねていた。

しかし鷹は、再会を喜ぶどころかアメリカ捕虜になる前に立派な、しを選ばなかったかと非難する。

 

東條英機(ビートたけし)は起訴内容を否認し、無罪を主張する。

広田弘毅、大川周明も同様に無罪を主張した。

 

父、天羽乙七(松重豊)の急を知らせる手紙を読み、賢治は見舞いに駆け付けた。

父は薬を飲んでいて、思ったより元気そうではあった。

家族は忠と賢治のフィリピンでの話を聞き、心中は複雑だ…。

エミー親子もやっては来たが、エミーの不満はおさまらない。

天羽家には泊まらず実家に帰るエミー。

 

また加州新報社も復活していた。

社長の松井竹虎(仲村トオル)に東京裁判の記事を依頼されるも、事情により断ることとなった。

「僕は今、日本を裁く側に加担してるのかと…」と落ち込んでいる賢治に

「それは違う!この裁判が間違ったことにならないように、この仕事があるんだ」

「天羽くん。君は日系二世の希望だよ」と励ます松井。

道を外れた忠、苦悩する賢治

東京裁判では

元満州国皇帝 溥儀(愛新覚羅)も裁判の被告の一人である。

そこに忠も来ていた。

一方、井本椰子の妹、井本広子(池田イライザ)がミネアポリスの看護学科を卒業し、初めて東京へ来ていた。

チャーリーのはからいで広子の歓迎会が開かれた。

井本姉妹、チャーリー田宮、天羽賢治の4人で会う。

井本広子は広島のABCC(原爆傷害調査委員会)で、働くという。

忠も遅れてやってくるもすぐ帰るといい、チャーリーと内緒話をする。

チャーリー田宮と忠はつながっている様子だ。

そして晴海埠頭で忠は、ペニシリンの闇取引で拘束される。

しかし賢治が来て忠はすぐ釈放された。

米軍のIDカードを見せればすぐ釈放される。それは同時に日本の警察の立場の弱さの表れでもあった。

賢治は父のもとへ帰るよう促すも、アメリカ国籍を無くした忠は、アメリカへも帰れない。

忠は新橋で元軍曹の鬼塚に再会する。足がなかった。

忠との関係に苦悩し飲みすぎた賢治は、椰子に会いたくなったと言い椰子の家へ。

そして加州新報で働いていた事を思い出し結ばれる。

エミーが日本へ!

1946年 10月8日

裁判が始まって5ヶ月経った

戦争反対派だった広田弘毅の妻は、現在の状況に耐えられなくなり自ら命をたった。

11月1日

日米交渉に入る話になった。

エミーが日本へ来ることを知った椰子は、アメリカへ帰り加州新報で働くことを考えていた。

12月4日

裁判の公正を期する賢治と、上層部では考え方の違いも明らかであった。

上層部から賢治が親日感情が強いと指摘があった。

 

1947年1月、エミ―と二人の子どもたちは日本に到着。

ワシントンハイツで暮らし始める。

 

チャーリーはカミソリを見つけ椰子と賢治の仲を確信する。

賢治の子供は賢治の仕事のせいでイジメにあっていた。

一方、東京裁判記録の一部が、アメリカ側の意向により改ざんされていた事に気付く賢治。

賢治は抗議するも受け入れられなかった。

 

チャーリーは、エミーに(椰子と賢治)二人のことをほのめかす。

自宅へ帰ったエミーと賢治は話し合いをする。

「なぜ私たちを日本へ呼んだのよ?」

「子供たちを交えて元へ戻れたらと思った。しかし君は変わってしまった」

「私はアル中よ、入院していたこともある」

そして、アル中になった理由。リトルトーキョーでの出来事を話す。

「許してくれるの?」

「もういいから」とエミーに優しくする賢治。

椰子が倒れる

広島に墓参りの為、帰った椰子は、体調不良が明らかとなる。

めまい、立ち眩み、歯茎の腫れ、出血。

白血病の疑いが濃い…。そう椰子は原爆の後遺症である。

広子は忠に連絡を入れ、忠は賢治に伝えた。

今すぐ見舞いに来て欲しいと頼む広子だったが、賢治は休みがなくすぐに行けなかった。

賢治が椰子を見舞ったのはその2か月後であった。

椰子は体調が悪化し、余命はもって1年..。

忠と賢治の仲が修復

酒場で、東條英機や日系二世、裁判のモニターについての悪口を聞き、我慢ならなくなった賢治は、手を出してしまう。

そして変わらず賢治とエミーの仲は修復されない。

別れを切り出したのは賢治である。

エミーは、賢治にも椰子にも劣等感を抱いていたと告げる。

 

ある日、ピーターソン医師に会った賢治は、椰子を助けて欲しいと頼み椰子のカルテを手に入れることを約束する。

アメリカで治せる道を探るためである。

 

忠は椰子を見舞う。

「広子を宜しく。ケンとはどう?一番苦しんでるのはケンなのよ」と話す椰子。

忠はどうしても賢治を許せない。

そんな忠に椰子は言う。

「私たちは二つの祖国が起こした戦争の犠牲者なのよ。お願い私がいるうちに2人はわかり合って欲しい。ケンの痛みは私の痛みだから」

「椰子、兄貴のことを愛しているのか?」と聞く忠に頷く椰子。

そして忠は椰子のカルテを東京の賢治に届ける。

ピーターソン医師の帰国に間に合った。

賢治と忠は2人で弓を引き、関係が修復された。

 

椰子はピーターソン医師から送られた薬を使用する。

白血病に効果はあるが副作用も強かった。

裁判が終わったら桜島を見せてやると椰子に約束する賢治。

東京裁判 判決

1948年8月1日 服部ハウスで

東京裁判の判決文の翻訳のため、賢治たちは軟禁状態となる。

その頃、椰子の状態が悪化しいていた..。

10月2日

チャーリーからすぐに広島へ行けと連絡があり、すぐ駆け付けたが、椰子は亡くなっていた。

「姉は最後まであなたを待っていた」と広子に聞かされる。

そして病室で賢治へ宛てた椰子の手紙を見つける。

最愛のケンへ

私の心を締め付けているのは自分が生まれた国が落とした原爆によって

命を絶たれねばならないことです

幼い頃から忠誠を誓ってきた私はアメリカの敵だったのでしょうか

答えを得ぬまま、しんでいった日系二世がいた事を

合衆国は心に刻んで欲しいのです

ケン、

あなたは今、日系二世でなければできない仕事に携わっています

どうか、父なる国日本と、母なる国アメリカとの2つの国の懸け橋としての生涯を、全うしてください

椰子

1948年11月12日、日本人被告25名に対して刑の宣告をした。

賢治は除隊する

賢治は3ヶ月ぶりに家に戻った。

賢治とエミーの行き違いは、果てしなく続いている…。

そして賢治はエミーに「アメリカへ帰ってくれないか」と告げる。

「私を追い返して椰子と一緒になるっていうのね」と話すエミー。

賢治は「もう椰子はいないんだ」と亡くなったことをエミーに初めて知らせる。

エミーはアメリカに帰る事に納得するも「アーサーとベティーの父親なのよ。あんな戦争さえ起こらなければ・・」と言い残した。

 

チャーリーは、薬の貿易会社を始めようとしていた。

賢治は、「今は何も考えられない」と話す。将来の展望はない。

 

ある日、東京裁判について、賢治は情報部から取り調べを受ける。

賢治は、判決には国際法に反する点があることを述べる。

さらに賢治は、被爆犠牲者(椰子)に会っての感想を求められる。

「合衆国はこんなむごい過ちを繰り返してはならないと思いました。」と話す賢治。

賢治は悲しんでいるだけであるが、それを反米思想と言われてしまう。

合衆国への忠誠は尽くしたことを賢治は語る。

それは軍歴をみれば明らかである。

それでも疑われるなら除隊を申し出ると答えるのであった。

絶望した賢治

1949年1月1日

鹿児島の加治木で、賢治と忠と鷹が正月を迎えていた。

「俺はこっちで結婚してうまくやっていくよ」と話す忠

1月4日

賢治と忠、広子は、椰子の墓参りをする。

そしてチャーリーは、小松原玲子と結婚招待状を渡しにきた。

「本当の友達はお前だけだ」と言い帰っていったチャーリー。

「兄貴を情報部にうったって」とチャーリーの噂を話す忠。

チャーリーは本当に親友だったのか…。

1月23日に結婚するチャーリー

一方、賢治は東京裁判のあった場所に訪れ、裁判を思い出していた。

椰子、僕はもう一行も書けない。

僕は最後まで自分自身の国を見るける事が出来なかった。

椰子 会いたい

と心の中で想い

賢治は、その場で自ら命を絶った…。

40年後

1988年、大統領が戦時中不当な拘留を受けた日系人たちに謝罪し、賠償金を払うことが決まった。

日系人の記憶から苦難な時代が消える事なかった。

現在アメリカ国籍を持つ日系人は百数十万人。

すでに5世・6世の世代だ。

世界各地で、それぞれの役割を担い活躍している。

しかしその歴史は大きな犠牲の上にある事を忘れてはならない。

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2つの祖国 感想  ドラマ後編

今日の救いは、何だったのだろうと考えました。物語の主旨は救いではないので、こうした見方はふさわしくないのかもしれないのですが。

忠はいつまでも賢治を許す気持ちになれませんでした。許したくてもそのきっかけがなかったのかもしれません。

またこの時代の男として、命を救ってくれてありがとうとは言えないのかもしれませんね。

それでも椰子の言葉により、許すというより素直な気持ちになれて、よかったと思います。

フィリピンの戦場で出会ったしまったとき、賢治は誤って撃ったと言っていますが、忠の命を救うために撃ったことは確かだと思われます。

忠もすぐに分かったことでしょう。ただ捕虜が不名誉という当時の考えでは、恨み続けるしかなかったのかもしれません。

賢治とエミー、チャーリー田宮と椰子がうまくいくはずがないことは、現代人の目から見れば明らかです。

戦争のせいも少しはあるでしょうが、考え方が違いすぎました。

夫婦として破綻していても簡単には離婚できない時代背景も、不思議でなりませんがそうだったのですね。

それよりチャーリー田宮と賢治が親友であった理由が、終始見当たりませんでした。親友の最低条件ともいえる気が合うという部分が感じられないのです。

チャーリー田宮が自分を守るため、賢治を売ったなどと言うのは、ごく小さな話です。特に賢治がチャーリー田宮のどこに惹かれていたのか、最後までわかりませんでした。

東京裁判については、時系列を追っての描き方だったため、印象がとぎれとぎれで、よくわかりませんでした。

判決の場面もよくわかりませんでした。

もちろん判決は主文ばかりではありません。それでも賢治たちが数か月間翻訳したと言いながら、広田弘毅の判決内容を全く知りませんでした。

主文を知らされていなかったとしても判決理由はたくさんあったはずです。

賢治たちは何をしていたのでしょう。

賢治たちが何を訳していたのかわからず残念でした。

それでも二つの祖国をもつ日系人の苦悩は、このドラマをみなければ知らないまま生きていくことになっていました。

苦悩の内容を少しでも感じられ、よかったと思いました。

2つの祖国のモデルや実話なの?

主人公の天羽賢治は実在の人物である伊丹 明さん

チャーリー田宮はハリー・K・フクハラ(福原 克治さん)がモデルになっていると言われています。

弟の天羽忠はフランク・カツトシ・フクハラ(福原 克利さん)をモデルにしたと言われています。

伊丹 明さんハリー・K・フクハラはドラマ「二つの祖国」と似たような人生を歩んだ方達です。

一つ違うのは、賢治の奥さんは「良妻賢母」だったようです。

 

>> 二つの祖国 前半記事はこちら <<

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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